ロシアの軍事行動に端を発した核-原子力の危機について(書記長談話)

3月15日に発表した執行委員会声明-ロシア軍のウクライナ侵略についてーを補完する書記長談話を発表しました。

ロシアの軍事行動に端を発した核-原子力の危機について

中央大学教員組合の執行委員一同による声明に関して、若干の注釈を補足したい、と思います。

既述の通り、ロシア軍は、ウクライナの土地を侵略しつづけています。私が最も憂慮するのは、その一方的な暴力の行使が、二重の意味で核-原子力システムに関係している、という点です。事実、ロシアの最高権力者は、世界最大の核兵器保有数を背景として、その使用可能性を明言したばかりでなく、ウクライナ国内で稼働中の原子力発電所や核施設に対して軍事行動を指示しています。

広島や長崎への原爆投下、世界各地での核実験、チェルノブイリ原発事故や福島第一原発事故による複雑な被害の実相に思いを馳せるとき、これら核災の被害者たちを愚弄するかのようなその振る舞いに対しては、戦慄を禁じえません。

元来、組合の目標とは、誰もが健康で文化的な生を営めるようになるための土台を作ることにあります。この本義に照らすなら、一人一人の善き生の存立を奪い尽くす戦争の暴力を受け容れることはできませんし、この世界に致命的な破壊をもたらす核-原子力の軍事利用やその行使を認めることもできません。

ただし、その上で、このような一国の常軌を逸した行動によって、一瞬にして破局的な危機に曝される現代の「国際秩序」の在り方については、学問ジャンルの垣根を超えた検証の必要性を痛感しています。このような行為がなぜ引き起こされたのか、どうすればそれを止めることができたのかについて、様々な観点から問い直すことは必須の作業である、と思います。

また、他国の独裁者の「異常」や「狂気」を指摘するのは容易なことですが、「平時」と「戦時」の境界が曖昧化した今日のグローバル社会にあっては、そのような指摘を通じて「正常」や「理性」を自認しようとする側にも、果たして欺瞞や矛盾、盲点はないのかと点検してみる必要はあるはずです。

例えば、現在の日本は、小さな列島の各地に、廃炉が決定したものも含めて五十基以上の原発を抱えています。そして、それらの立地や工法において、軍事攻撃の対象になったらどうするのか、という想定は一切なされていません。ロシアの軍事行動が露呈させたのは、このような想定には何の根拠もない、という事実でした。核-原子力システムに内在するこの「想定外」の盲点を直視しない限り、どんなに勇ましい主張も不毛に終わるほかないでしょう。

かつて、ドイツの哲学者ギュンター・アンダースは、政治体制の差異を超えて浸透した核-原子力の技術システムが、人類全体の精神にどのような変容をもたらしたのか、そして、その歴史を正面から見据えた上で、自分たちに何ができ、何をすべきなのかを考究しました。

ロシア軍の蛮行に端を発した国際秩序の流動化が懸念される今日、アンダースが切り開いたこの理論的・実践的な指針を受け止め直すことは、どれほど遠回りに見えても避けて通れない課題である、と考えます。

ちょうど11年前に起きた史上最大級の原発事故のために、未だに故郷に帰れない避難者たちの苦境を思い起こしつつ。

田口卓臣

中央大学教員組合書記長

2022年3月22日